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2016-07-01

命という奇跡~流産の記憶


奇跡

結婚した時、子どもは三人ほしいと思っていました。

一年後には、長男が誕生しました。

その二年後、長女が誕生しました。

それから二年後、三人目を授かりました。

ところが、この子は、生まれることができませんでした。

早期の流産は、染色体の異常がほとんどで、

お母さんのせいではありません。

そう説明されても、悲しくて泣きました。

一晩入院することとなり、車で向かいながら、

まだ幼い子ども達に、夫が話しました。

お母さんは今日、病院にお泊りしないといけない。

赤ちゃんがいなくなったんだよ。

妹をとてもかわいがっていた心優しい長男は、

赤ちゃんを探しに行くの?

と、たずねました。

そうねえ・・・見つかるといいね・・・

その病院で過ごした時間を、ほとんど思い出せません。

 

それから、四年ほどたって、また小さな命を授かりました。

ところが、この子も、生まれることができませんでした。

その、小さな命が流れてしまった日、

それは、長男の誕生日でした。

せっかくの誕生日なので、我慢していたのですが、

激痛に耐えられず、病院に行きました。

いつものお祝いはできませんでした。

夫が、ハンバーグを作ってくれました。

 

長男と長女が生まれてきたのは、

奇跡だったのだと思いました。

当たり前に、ふつうに、生まれたのだと、思っていました。

でも、違ったのだと、初めて、思いました。

生まれてきてくれたのが、

どれほど、有り難い ことだったのか、

初めて、知りました。

 

三人の子どもを持つことは、諦めました。

もう、悲しい思いは、たくさんでした。

 

それから何年も経って、

三人目となる女の子が、この世に生まれてきてくれました。

四十歳になっていました。

 

人は、なぜ、生まれてくるのでしょう。

奇跡的に授かった命でさえ、

病や、事故や、理不尽な犯罪や、天災などで、

いとも簡単に、絶たれてしまいます。

さまざまな事情で、

生まれることのできない命もあります。

そして、残されたものは、

大きな悲しみを抱えて、生きていかなければなりません。

 

人は、何のために、生まれてくるのでしょう。

考えても、考えても、分かりません。

 

ただ、ひとつだけ、わかることは、

この世に生まれ、今、この時を生きているのは、

奇跡であるということ。

奇跡に感謝して、

大切に生きていきたいと思います。

 

 

 

 


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